大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(あ)2448号 判決

興業師兼芸妓置屋 三沢貴三男

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人中村光三の上告趣意第一点中判例違反の主張について〈省略〉

同第二点について

所論は違憲を主張するけれども、事実審裁判所が普通の刑を法律において許された範囲内で量定した場合において、これをもつて直ちに憲法第三六条にいわゆる「残虐な刑罰」ということのできないことは、判例の示すところであり(昭和二二年(れ)三二三号同二三年六月二三日大法廷判決、集二巻七号七七七頁)、また犯人の経歴などを量刑の資料とすることが、憲法二二条に違反するものでないことは、被告人の上告趣意第一点および第二点について後に説明するとおりである。その余の主張は単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

被告人の上告趣意第一点および第二点について

刑の適用においては犯人の性格、経歴、環境および前科その他一切の事情を考慮すべきであつて、そのことが所論憲法の各規定に違反するものでないことは判例の趣旨により明らかである(昭和二三年(れ)四三五号同年一〇月六日大法廷判決、集二巻一一号一二七五頁・昭和二二年(れ)二〇一号昭和二三年三月二四日大法廷判決、最高裁判所裁判集刑事一号五三五頁・昭和二七年(あ)四八二一号同二八年一一月一七日第三小法廷判決、最高裁判所裁判集刑事八八号五二一頁・昭和三二年(あ)四八三号同三二年六月二五日第三小法廷判決、最高裁判所裁判集刑事一一九号六〇五頁・昭和二七年(あ)三四一九号同二九年三月一一日第一小法廷判決、集八巻三号二七〇頁)。なお、前科抹消手続の不公平を主張する点は、原判決に関係のない手続の不備を非難するに帰し、適法な上告理由とならない。

同第三点及び第四点について〈省略〉

また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 石坂修一 横田正俊)

弁護人中村光三の上告趣意

第二点原判決は憲法第三六条に違反し、且つ、判決に影響を及ぼすべき法令の違反がありおよび刑の量定が甚しく不当であつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。(中略)

二、然るに原判決は、所論は、被告人に対する原判決の刑の量定が重きに失すると主張するので記録によつて勘案するのに原判示第一の恐喝の罪および第二(第三の誤)脅迫の罪は、いずれも被告人の性粗暴に由来する所為と認められ、被害者高畑武夫には所論の如き不法不徳義の行為があつたにせよ、これを理由にして金員を喝取することは許されないところであり、殊にその方法も極めて執拗であつて、被告人の経歴、賭博罪によつて処刑された前歴、等諸般の事情を綜合して勘案すれば、原判決の量刑は相当と認められ、これを重きに失するとなすことはできない。として、第一審の科刑を是認している。

そこで被告人の経歴を見るに、被告人は実父佐喜太郎の三男に生れて両親に育てられ高等小学校を卒業して上京し荒川区の土建業桜井組で二七才まで働き、その後約四年間タクシー業をしたが、昭和一九年三一才の時応召渡満し終戦の年に復員してその後は興行師となり、映画館と芸妓屋を経営して今日に至つた。昔は賭博をしたこともあつたが現在は全然いたしません。(被告人三五・一二・八警供一二五)ということで、職業が土建業、興行師というようなことであつたとて、これがために重刑を科する理由にはならないし、これらの職業に在るものだから重刑を科すということであれば憲法第二二条の職業選択の自由の侵害である。賭博罪の前歴があるといつても前科調書によるとそれは昭和二二年三月七日秩父区裁判所において受けた罰金三百円(記録一二三)に過ぎない。その後は被告人の述べる如く賭博の慣行がないため処罰されていないものであることは知られるのであつて、このように満一四年前に処せられた罰金の前歴があることが、どうして重刑を科さねばならぬ理由となるであろうか、これはまことに吾人の経験則に反した措置であり経験法則に違反する法令違反であると思料する。この違法が判決に影響することは明らかであるからこの点からも原判決は刑事訴訟法第四一一条第一号により破棄されなければならない。

被告人の上告趣意

原判決は被告人の控訴を棄却し、その理由として(中略)

第一点原判決は「被告人の賭博罪によつて処刑された前歴」を量刑判断の重要な資料として参酌し、第一審が科した被告人に対する懲役一年の実刑を相当と認定しているのである。すなわち、被告人の性格、経歴、犯罪の方法等諸般の事情を綜合して勘案したのでは原判決の量刑は相当とは認められないため、被告人が昭和二十二年三月七日浦和地方裁判所秩父支部で賭博罪により罰金三百円に処せられたという十五年前の、すでに刑法三十四条の二により抹消された前科を特に控訴審において新たに取り上げて重要な量刑の資料となしている。このことは、前科抹消の制度があるにかかわらず、刑余者としてこれに不利益な差別をなして、憲法により保障せられた人権を無視、少なくとも軽視するもので、国民の本来法の下に平等であるべき憲法の大原則に反し、明らかに憲法第十三条、第十四条に違反するものである。

刑法第三十四条の二の解釈、運用については、すでに御庁諸判例(判例集二巻一一号一二七五頁以下、同四巻三号三六六頁以下、同八巻二七一頁以下、昭和二三年三月二四日裁判集一巻五三三頁以下等参照)によつてその趣旨は明らかであるが、このような解釈がなされる限り刑事政策的内容をもつ本規定は著しくその目的が減殺され前科ある限り法に規定する累犯は別として、被告人は常に不利益な待遇に処せられ、更正への途は阻止されその人権は保護されず、ひいては人間精神の成長改化改善のためにある刑事政策の目標は空中楼閣となつてしまうのである。ちなみに、刑法第三十四条の二にいう「刑の言渡の効力が失われる」というのは、刑法において二重の効果をもち、第一は、効力が失われてから更に犯罪を犯しても累犯にならない。第二は、その後の犯罪にも執行猶予をつけることができることであるが、しかし、ここでより注目すべきは、社会的評価における人間性の回復である。前科のもつ排他的作用は必然的にその人間の社会的自由を奪い、更正への道をふさいでしまう。この意味で前科抹消は大きな意味を持っている(滝川幸辰外二名著刑法コンメンタール四六頁以下)。

思うに、ここにいう効果の第一は、刑法第五六条の明文の規定があり、第二の効果についても、刑法第二五条に明文の規定があるから、ここでこれを効果として解く実益はなく、むしろ、最後の社会的評価における人間性の回復がこの規定の主な趣旨ではなかろうか。したがつてこれは、刑罰権の消滅ではなくて、前科身分を法律上当然消滅させるところの復権であつて、犯人の社会復帰の障礙を除去する趣旨に出たものなることはいうまでもなかろう(木村亀二著新刑法読本三四四頁)ということになる。そして、刑の言渡は効力を失うものとされる結果として、犯罪人名簿(Casier judiciaire )の抹消をしなければならないかどうかについて多少の問題があるが、しかし、刑法第三十四条の二がその抹消を明文で規定しなかつたのは、前科者名簿そのものが法律上の制度としてみとめられているものではなく、前科者名簿への登録を規定しないで単に抹消だけを規定するのはおかしいという理由にもとづく。したがつて、刑の言渡が効力を失つたばあいに、前科者名簿から本人の氏名を抹消すべきことは、この制度の趣旨からいつて、むしろ当然だとおもう(いわゆる前科抹消)(団藤重光著法律学講座刑法二〇六頁)と解かれるわけである。妥当な解釈だと思料する。けだし、次に述べる抹消手続の実情を勘案すれば、この考え方が公平、平等で被告人の保護に適するからである。

そこで、刑法第三十四条の二にもとづく前科抹消手続の取扱いにつき実情を調査したのであるが、何分にも調査すべき権限がないため、全国的なものは調査できなかつたし、求むる回答も確実な資料として提出すべきものが得られなかつたが、一応の調査の結果を報告する。

先づ、検察庁の扱はどうかというと、犯罪名簿に記載されている犯罪のうち、すでに刑法第三十四条の二により刑の言渡の効力が失われた刑は名簿より抹消すべき義務あるに拘わらず、多忙を理由にその義務を怠つており、警察庁における犯罪人名簿の記載についても同様の理由で抹消していない。この点抹消をしなければならないかどうかについて疑問を抱きつつも確信がないまま放つているというのが現状で、検察実務家合同その他でも再三再四質疑応答がなされているが、取扱に関する規程等はないようである。従つて、全国的に統一的解釈なり、基準が定まつてなく、扱いも区々であると思料される。

また、区役所、市町村役場における犯罪人名簿についての抹消方法も同様に区々に異り、全然抹消してないところ、五年に一度抹消するところ、或は、取扱者の考えでその都度抹消しているところというようにその手続が都内の区役所間においても異なつているのである。

このように、抹消手続の異なる結果、警察の指紋照会回答には前科の記載があるも、前科照会回答書にはその記載が洩れているというような事態もよくある例である。

このように、統一された基準がなく疑問視のままなされている前科抹消手続が一方では行なわれ、他方では行なわれないということであるならば、前科の抹消がなされない被告人は不利益を受け、反対に抹消された被告人は利益を受けるということになる。それが裁判官の自由な心証にゆだねられている量刑判断の資料であるとしても、この不平等が被告人にとつては重大な人権問題としで無視されるべきものではなく、国民はすべて法の下に平等であるという憲法の原則からして憲法第十三条、同第十四条に違反するものと信じ、すみやかに原判決を破棄して適正妥当なる裁判を賜りたいと思います。

第二点は、原判決は、「被告人の経歴」を通常人のそれと区別して、あたかも非難すべき経歴の持主のように判示し、悪い情状として量刑の資料としているが、憲法第二十二条は、公共の福祉に反しない限り職業選択の自由を保障している。したがつて、いかなる職業によつて勤労し経済的利益を得ることも公共の福祉に反しない限り自由である。しかるに、被告人の本件までの経歴が公共の福祉に反し非難されるべきものであるかについて充分な調査もなさず、訴追者側の被告人の悪性の微表を形成するために立証された資料によつてのみ判断し、それを量刑の判断として被告人の経歴云々……という判示は憲法第二十二条に違反しているものというべきである。

被告人は、郷里の高等小学校を卒業後、上京して二十七才まで土建業をなし、次いでタクシー運転手となり、戦争中は召集を受けて渡満し、復員後は興行師となり、映画館を経営し、かたわら芸妓置屋をなしていたものである。たしかに昭和二十二年頃賭博をやり罰金刑に処せられたことはあるが、これとて享楽的になした一時の出来事であつて、以来このような怠惰な遊びとは一切縁を切り、更正し、以来映画館経営に専念してきたのである。その間道交法と労基法によつてそれぞれ罰金刑に処せられたことがあるが、これは、原判示は経歴とは区別し特に前歴としている。

これらのことも一切を悔悟し、反省し、真面目に事業に専念しているものであつて、これらのことを本件犯罪と結びつけ、これをもつて被告人の経歴か通常人からみて特に非難すべきものであろうか。それはあまりにも酷といわねばならない。

本件犯罪の動機が被害者高畑武夫の不当不徳義に起因して、被告人の父親としての情からやむなくなされたものであるということを思うとき、被告人の行為が経歴から考えられる当然の帰結であるといえるであろうか。それは余りにも被告人の基本的人権を無視した判断で偏見によるものといえる。因つて、憲法第二十二条に違反するものと断ぜざるを得ない。〈第三点以下省略〉

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